2011年8月8日月曜日

アプローチの詫び寂


釣りは数ではない、釣りで最も大事なのは、
釣りを通じて感じるさまざまな詫び寂を理解する「こころ」である。

まったく数を気にする書き込みがあったりして、
アホだなぁ・・・と思うこの頃です。

釣りに限らず、
狩猟でも何でもそうなんだけど、
自然とじっくり向き合うことこそが、
我々の求めるところであり、そういう素晴らしさって
言葉や数字にはしにくいのだ。

よく分からん人は、

湯川 豊氏の「夜明けの森、夕暮れの谷」を読んだらいい。

釣りにまつわる色んなエピソード、
ひいては我々自身の人生に照らし合わせられるような
渓や森の流れに癒されるのであって、漁や猟の数は二の次である。

ヤマベが、全身をくねらせて毛針に飛びついた時の感動や、森に潜むエゾ鹿に、ほとんどほふく前進のような姿勢で、息を殺しながらゾンメルでアプローチを試みる時の「あの瞬間」を求めて漁に出ているんである。

獲物へのアプローチの詫び寂を知らん人は、
出入り禁止と言うことで。

話は変わって、前職の友人から頂いたアナログカメラの紹介。


これは、知る人ぞ知るミノルタのTC-1。
1996年に発売された伝説のコンパクトフィルムカメラだが、
28mm f3.5のG-Rokkorの描写は、軽く一眼レフのレンズを凌駕するものでいまだに銘カメラと呼ばれている。

前職の友人から永久貸与。写真じゃわかりにくいが、
チタン外装が若干凹んでいるのは、友人がT-38のグレアシールドから
操縦席の床に4Gで落っことしたため。
それでもいまだ完動なのはさすがTC-1である。

フィルムは、曖昧な描写のなかに芯があるから美しい。

スタイルのある曖昧さを楽しみましょう。


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